後悔しない「終活」のやり方〜よい「終わり」を迎えるために

介護、看病に関する希望を残すこと

縁起の悪い話で恐縮ですが、誰かが怪我や病気で倒れて、今までのような生活ができないほどの障害を負ってしまった場合、何がいったい困るのでしょうか?それは「どうしてあげればいいかわからない」ということでしょう。意識もはっきりしていて、言葉でのやり取りができるのであれば、「どうしてほしいのか」「どうしてあげたらいいのか」というやりとりは円滑にできるはずです。

しかし、言葉も不自由になってしまった状態では、そういうやりとりはとたんに困難になります。これでは、家族やそのほかの大切な人たちは途方に暮れてしまうしかありません。「自分は元気だから大丈夫」と思っていませんか?誰しもそう思いたいのはわかりますが、それは思い上がりにしかすぎません。今日元気だったとしても、明日どうなってしまうかなんて、誰にもわからないのです。

そこで、「元気なうちに」自分の希望を考えることが必要になってくるのです。では、具体的にはどんなことをすればいいのでしょうか。まずは、「自分がどうしてほしいのか」を真剣に考えることです。「家族に迷惑をかけたくないから、病院などの施設に入ることを望む」のか「最後まで家族と一緒にいたいから在宅での介護を望む」のか、自分の希望をしっかり見据えることが必要になります。

それによって、家族への負担や経済的な負担はまったく異なってきます。もちろん、病院にかかるのも、在宅で介護してもらうのも、ただではできません。公的な補助はありますが、ある程度のまとまったお金を用意しておくことが必要になるでしょう。行き当たりばったりで準備してどうにかなる問題ではありません。

よく、「ピンピンコロリ」といって、亡くなる直前まで元気に暮らしていて、亡くなるときは安らかに、という死に方がいいとされてはいます。そういう風に行けば理想ではありますが、現実はなかなかそうはいかないものです。不幸ながら、病気で長い間闘病して、その末に天に召される、という話は往々にしてあります。そうなってしまうと、療養費は確実にかかるのです。

元気なうちに療養費のことも含めて、自分の最後を考えるのは無意味なことではありません。また、どこの病院にかかるかを決める場合、自分が日ごろから通っている病院もしくはそこと関係の深い病院を選ぶことになるでしょう。自分の情報をきっちりと持っている病院にかかったほうが、納得のいく治療を受けられるのも事実です。こういう情報は生前に整理しておかないと、いざというときに思い通りにしてもらえるわけではないのです。

また、介護が必要になったときも、家族に負担をかけたくないからプロを使うのか、自分の知らない人に介護してもらうのはいやだから家族にお願いするのか、どちらを選ぶかで自分や家族に対する負担はまったく違います。あまり話し合うには適さないテーマかもしれませんが、一度、ご家族の方も含めて真剣に話し合う機会を設けることをおすすめします。